やっとこさ、一通り書き終えましたぁ♪
先生チェックを頼んでるトコです。
結論部、危ないなぁ…かなりダメだしされそうです。。。

 
ホッと一息、「功名が辻」最終回を見て、
そのままNHKスペシャル見ちゃいました。
今日のテーマは「ワーキングプア? 努力すれば抜け出せますか」
http://www.nhk.or.jp/special/onair/061210.html

見ていて胸が痛みました。というか、苦しかったです。
このブログを書く前に、ザッと他の人のブログを見渡したのだけれど、
『明日は我が身』というワードが炸裂してました。

今日取り上げられていた方々は、みんな仕方なく働きづめの人ばかり。
自分のせいじゃなく、社会環境や家庭の事情によって、働かざるを得ない人たち。
毎日の生活がいっぱいいっぱいで、
資格やキャリアを目指そうとしても、それが難しい人たちでした。

岐阜の繊維産業は、アジアの安い労働力の流入で激しい価格競争に巻き込まれ、
毎年収入はダウン。
プレス工場を営んでる夫婦の奥さんが、
パートの一つとして、中国から来た研修生の食事を作ってるってトコが、
また皮肉だった。
確かICUの教授が、その産業が高い成長率を上げている時はみんな儲けられるけれど、
その産業の成長率が低くなった時、どれだけ付加価値が付けれるかが重要って言ってた。
ただ働いているだけじゃダメ。
一旦ラットレースにはまったら抜け出せない。
はまる前に、頭を使う必要がある。
そういうコトなのかな。。。
父親の体がダメになったら、うちも社会のレールから外れるのかな。

それにしても、著名人らがコメントをしていたけれど、
どれも現実味が無くて虚しかった。
結局、今日私が書き終えた卒論と同じで、
本当にその問題を解決することは出来なくて、
ただ上から、「こうなればいい」と言ってるだけ。
それしか出来ないのは分かるのだけれど、
私にしたって、動物園の園長でもないし、
働いたこともない一学生が半年間の研究で国内動物園の方向性を見出せるなんて思っていないけれど、
当事者でもない私が、現実味のない解決策を発言したところで、
何になるというのだ。
嫌になる。
ネットで自転車を注文!!
…したら、欠品で7月まで入荷予定が無いとのコト。
一番安く調達できるお店だったので、このまま待つか他店を探すか、迷います。
5,000円くらい変わってくるんよね…ガックシ。

 
さて、昨日のNHKスペシャル、とっても楽しかったです♪
「笑いでビジネスを変える」
職場に笑いやユーモアを取り入れるコトで、
従業員の仕事に対する意欲を高めたり、クリエイティブなアイディア創出を狙ってます。
従業員が楽しく仕事をするコトで、それが顧客満足にもつながり、
それが会社の発展につながる、という発想です。
この考え方、だ〜いすき♪
仕事は楽しくやってナンボだと思います!

「笑い」については、近年人体に良い影響を与えるっていう研究が進んでいます。
パッチ・アダムス関連もそれだと思うんだよね。
道化師の格好をして長期入院している子供たちを見舞うことで、
楽しい時間を提供して、これが免疫力向上なんかにつながる…のか?

「笑い」を職場で起こそうと課長さん・部長さんが思っても、
当の本人が場を和ませるコトが出来ず、
口で「笑いを取り入れるよう努力するように」なんて言ったって、
そりゃ絶対無理です。
ある道化師さんの言葉で印象的だったのは、
「笑いを作ろうとするのではなく、笑ってもいい環境を作る。」
緊張した面持ちの親の前で、無理に子供を笑わせるのではなく、
まず親を和ませ、笑わせることによって、
子供は笑ってもいい環境を察知し、笑うことができる。
それは職場でも同じで、上の人間が堅い表情をしていたら、
誰かが冗談を言っても笑えるわけがない。
笑いを起こさせたかったら、上の人間が笑っていなきゃ無理なんです。

話が若干ずれるけど、
内定をいただいたベンチャーの中で、
先進的なアイディアによって会社の営業革命をしている会社があって、
その会社の人に言われたコト。
「うちのアイディアはすごく良いって言われるけど、まだまだ実験段階。完成形じゃない。
 それに、うちのアイディアをやろうと思ったら、うちの会社じゃなくても出来る。」
そう言われたコトがあった。
確かに、この会社のアイディアは特に専門知識も要らないから、
どこの会社でだって導入可能だとは思う。
だけど、
今、私が「営業を変えたい!」て意気込んで他社に入社をしたって、
「新人のペーペーが何を生意気言ってるんや」で終わりじゃないか。
雰囲気は下っ端が作るもんじゃなくて、上が作るもの。

それにしても、
サウスウエスト航空の「顧客第二主義」「従業員の満足第一主義」て、スゴイ大胆よね。
すんごい感激した。
うぅ〜格好良いなぁ。。。
NHK「その時歴史が動いた」、今日は先週に引き続き西南戦争について。

西郷さんの重く、ドッシリとした言葉が、
常に大きな責任を持ち揃えていて、とても響いた。
頭では日本の将来を考え、廃藩置県の推進を、
一方で心は、侍としての高きプライドがあって、
廃藩置県を推し進めるには、相当な苦悩があったのだと思う。
しかし、「廃藩置県に反発する武力的な動きは、全て自分が責任を持って抑える」と、
重たい言葉をドーンと明治天皇に叩きつける。
そう簡単にできるコトじゃない。

きっとそういう厚い人望が、薩摩藩士を惹き寄せたんだ。

明治政府の監視下から逃れ(黙認され)、薩摩は明治に入っても士族の制度を辞めない。
政府が各地の士族を弾圧する中、ついに西郷率いる薩摩藩士と衝突。
西郷は侍としての信念を捨てられない薩摩藩士を、どうしても見捨てられなかった。
そんな西郷がバックに付いた薩摩藩士は、西郷がいるコトを一つの自信に、
命を懸けて闘う。

先進的な装備をした政府軍ではあったが、施行されたばかりの徴兵令で集まった元町民・平民の軍が、
先祖代々侍として生き、侍に誇りを持って、刀で対面する薩摩藩士に太刀打ち出来ない。出来るはずがない。
西郷を筆頭に士気を高め、自分の命を投げ捨てて闘う侍に、
逃げ腰根性が備わっている政府軍が勝てるはずがない。

うぅ…ここで登場するのが元会津藩の侍だってんだから…
時代は皮肉です。
会津は戊辰戦争で薩摩に苦汁を舐めさせられ、その復讐に士気を高めたらしい。

結局表向きは、政府vs薩摩、徴兵軍vs元士族ではあったのだけれど、
中身は侍同士の怨みつらみであって、侍が侍を斬ったのです。
まだまだ始まったばかりの明治新政府、弱きを突かれたわけです。

山県有朋(やまがたありとも:徴兵令の考案をし、政府軍の指揮をした人物)は、
幕末からずっと尊敬し、同時に恐れていた西郷に敵わず、
薩摩藩士の士気の高さに感心し、徴兵軍も士気を高めようと、
筆頭に明治天皇を置くわけです。

これがずーーーっと続いて、第二次世界大戦の昭和天皇になるわけだ。
なんで天皇中心に日本軍が動いていたのか、とっても不思議だったのだけれど、
時代をさかのぼると、とういう訳があって、
日本軍は「侍魂」を手本に米軍にも恐れられていたんだ。

なんていうか、皮肉だな。。。
侍としての人生…人はそう簡単に変わるモノじゃないんだね。
今日のクローズアップ現代、
ビデオに録画して、2回見ちゃったよ。

今日のテーマは外国人労働者の子供の未就学問題。
教育を受けたくてもそれが難しい現状の話。
NHKの取材は主に愛知県豊田市で行われてました。
トヨタがあるから、その下請け・孫請け(?)企業で働く日系ブラジル人が多いのです。
私の実家は尾張だけれど、中学に上がった頃(9年前)から日系ブラジル人の生徒が転入し始め、
同じクラスにはなったコトがなかったものの「大変そうだなぁ」と見ていた気がする。
最近では、妹の小学校でも1クラスに1人いるのが当たり前で、
ショッピングセンターへ行くと、必ずそっち系の若い子たちを見かける。

ちょっと視点を変えたら、「あ、私も外国人就学者だったんだ。」と、我に返る。
高校の3年間を、私はロンドンで過ごしました。
設定としては、日本にいる日系くんたちと変わりないのだけれど、
家庭の事情が違う。これが一番大きいと思う。

大抵の先進国へ赴任して、日本人の子供が海外で教育を受ける場合、
そこにはいくつかの選択がある。
?地元の学校(英国人と同じ)に通う。
?日本人学校に通う。
日本の文部省は小・中の義務教育については、海外に日本人学校を持ってる。
高校については、日本人の多い地域には日本の私立高校がある。
ちなみにイギリスには3つ。(立教、帝京、暁星(今もあったかな?))
ドイツに四天王寺があったかな。
イギリス国内のみならず、ヨーロッパ圏内、中にはエジプトやらから来てる子もいたらしい。
?インターナショナルスクールに通う。
これは私の選択。
日本にもInternational Schoolはいくつかあるけれど、
要するに、国籍問わず海外から来た子供たちの寄せ集め。
校内では英語が使用され、母国語(国語)の授業もあり。

?の選択について。
これは、全く現地語が分からない子供にとって一番ハードな選択。
現地語習得には一番近道かもしれないけれど、子供にかなりのストレスを課します。
それだけ現地語習得に励む気のある子なら良いけれど、そういう子ばっかりじゃないと思うんよね。

?の選択について。
小・中学までは文部省がお世話をしてくれるので、
日本にいるのと変わり無い教育が受けられる。
でも高校については、その学校次第。
遠方から生徒が集まるため、どの学校も寮を持っていて、
高い授業料を払って通わせなければならない。

?の選択について。
これも、それぞれのInternational Schoolによるのだけれど、
私が通っていたところは、授業料がバカ高かった。
現地語習得に励みたいのならローカルスクールへ行くべきだし、
日本に帰国した後に苦労をしたくないのなら日本人学校へ行くべき。
ここが一番中途半端で、
やる気にならなければ英語の習得も中途半端、
母国語の日本語も漢字が書けなく恐れあり。

会社の都合で海外へ赴任する日本人の家族には、
自分の会社がある程度面倒を見てくれる。
だから、?、?の選択もできる。

でも、今回取り上げられた日系ブラジル人の家族には、
会社の面倒以前に、社会保障さえ無い状態。
自然に選択肢は?しか残らなくなる。
しかも、両親の仕事は不安定で、全国を転居する家庭も多いとか。
そんな両親に連れられ、それでなくてもストレスフルな現地の学校に、
転校の繰り返しを余儀なくされたら、そりゃみんな不登校・不就学になるわけだ。
小学校6年生で転校した先の小学校で、
日本語で授業が行われる中、一人理解できなかった日系くん。
彼曰く、
「自分が日系ブラジル人だから授業が分からない。
でもみんなは、自分自身が頭が悪いように言う、だからイヤになった。」
小学校低学年ならまだしも、
高学年・中学生となると、学習内容も難しくなるのに、
「あいうえお」から始める子が頑張れるわけがない。

 
帰国して大学受験をした私だけれど、ある程度の「枠」の中でしか選択ができなかった気がする。
「枠」から外れるって、今の社会じゃ恐いコトだからね。
不就学の子供は、将来どうするんだろ…。

なんだか恐い世界になったね。
社会の「枠」から外れられない社会だよね。

今日、授業でハワイの現地住民・ハワイ人についてのビデオを見たけれど、
あれだって一緒。
アメリカ人が押し寄せて、あれよこれよとホテルを建ててリゾート化。
素朴な生活を営んできたハワイ人は、リゾート化によって地価が高騰し、
自分たちの土地であった場所を追い出されている。
職に就けず、土地を追い出され、ホームレス化。
そんな姿を観光客に見せたくない、との方針に、もっともっと追い詰められる。
資本主義からはみでた人間は、生活できないんだよ。
それってどーなんかな。
クローズアップ現代3夜連続テーマ「団塊の世代」
今夜は2年後から続々と始まる団塊の世代の定年を間近に、
彼らの職人技とも言える技術を絶えさせぬための企業の取り組みがピックアップされていた。

メーカーさんなんかには、工場内で2人しかできない職人的な仕事ってのがあって、
その2人ってのが大抵定年間近の団塊さんで、
その2人が定年した後をどうするか、みなさん必死で考えているようです。

そもそも、団塊さんの時代は一気に大勢入社させ、新人ピーク。
しかしその後、オイルショクやバブル経済等の経済不況で採用人数を削り、
企業はどうやってサバイバルをして生き残っていくかに必死。
労働力をなるべくかけないため機械化し、いかに効率良く作業を進めていくか、
が重要なポイントになり、
新人教育に力を入れられなかったのがそもそもの原因。
それが今になって、職人技が継承されぬまま団塊さんの定年を控えたわけです。

企業さんは必死で団塊さんの技術を継承させようと必死だけれど、
通常の仕事もある上に、今からすぐに継承させるのも無理がある。

ある企業は、職人技をビデオ等に記録し、データ化するコトによって継承させようと試みているけれど、
長年の経験と鍛えられた勘で判断されている職人技を
そう簡単にデータ化するコトは難しい。

ある企業は、団塊さんの定年を全員3年延長する方針を打ち出したらしいけれど、
みんながみんな定年延長を希望している訳ではないし、
しかも60歳以降のお給料はそれまでの6割。
労働者も不満が拭えないというのに、
定年退職する人がいないのに新入社員は入ってくるのだから、
その分企業が負担する人件費は増えるわけで、これが本当に機能するのか。

 
それにしても、なぜ団塊さんの定年を間近に控えた今になって、
みなさん焦りだすのか。
こんなコトは、もっと前から分かっていたはずなのに、
なぜそれが読めなかったのか。
団塊さんがいなくなった後も常に労働者はサイクルしていくわけで、
教育システムっていうのは、必ず必要なはず。
8月31日の小学生みたいです。

そんな話をすると、
新入社員の彼に「企業は教育のコトまでそんなに考えてないよ」と言われてしまいました。
説得力が妙にあります。はい。

 
今日は毎年恒例の「ラクテンチ」花見をしようと友達と張り切って行ったのに、
(ラクテンチ:アヒルレースが目玉のローカル遊園地)
ラクテンチさん、定休日でした。きゃー。
今日のNHKクローズアップ現代、面白かったぁ♪
佐賀市の市長に「よく言ったぁ!」と声をあげてしまった。(笑)

「自治体 vs ITゼネコン」
今まで、自治体は情報を管理するために汎用機を使っていた。
汎用機ってのは、私もよく分からないけれど、とにかく大きな機械で、
沢山の情報を管理できるのかな…?
汎用機は、製造企業によってプログラミングが異なるため、
システムを変更する際は、その汎用機の製造企業に発注しなければならなかった。
例えば、自治体が、小児の医療費保険制度を6歳から9歳へ変更した場合、
自治体は今までのシステムを変更し、設定を6から9へ変えなければならない。
ただし、汎用機のプログラミングは製造企業によって異なるから、
システム変更は製造企業にしか発注するコトができなくなる。
従って、汎用機製造企業は、一台の汎用機を販売したと同時に、
その汎用機のその後のメンテナンスまでも契約されたコト同然で、
そうなると、汎用機製造企業が好きに値段設定をするコトができ、
べらぼうに高い値段で請求するコトができてしまう。

そこで、小型サーバを導入し、どの企業もメンテナンスができるようにする。
新しい機械を導入したコトでコストがかかったけれど、
その後のメンテナンスを考えれば、改善される見通し。

長崎県庁も、汎用機から小型サーバへ移行中の自治体。
こちらの自治体は、新しいシステムを導入する際に、
企業に頼らず、自治体内部でシステムの設計をするため、
お役所に民間企業からIT関連の人材をひっぱってきた。
彼が「前例が無いので・・・」の前例主義職員をひっぱり、
システム設計をそれまでITのコトに無知であった職員に任せた。
最初は大変な仕事であっても、一度できれば自信につながる。
できたシステムの設計を、パート別に小分けし、多くの企業に少しずつ仕事を発注。
そうするコトで、中小企業でも入札するコトが可能となり、
今までは大企業の下請けをしていた地元企業も、仕事をするコトができた。
国民から集めた税金の無駄遣いを削り、
新たな仕事を、大企業から地元企業へ任せるコトによって地域にお金が落ちる。

いいなぁ、こういう仕組み。
一つのコトを改善するコトによって、違った部分も一緒に改善させるコトができる。
悪循環を善循環に変えてしまう仕組み。

「脱・おんぶにだっこ」
国民から預かった税金だっていう意識を持って無駄遣いをやめ、
国民のために、良い循環制度を作っていってほしい。
う・・・気づいたら日記かなりご無沙汰してました。
今月いっぱいは学校で、レポート提出・テスト習慣があるけど、
今日からはちょこちょこ更新していける気がする。。。
 

10年前の1月17日。
父親が朝ごはんを摂っている居間へ降りていったら、
テレビでは信じがたい映像が流されてた。

あれから10年。
NHKの週間こどもニュースを見かけたら、
もう今の小学生は、阪神大震災の事実すら知らないっていうじゃない!
こりゃ驚いた…でもよく考えてみれば、
私の小6の妹も当時は2歳。覚えているはずがない。
10年て歳月の短さを感じてしまいました。(←年取った証拠。)

10年の節目を向かえ、NHKは色々と特集を組んでて、
今日もこどもニュース特集?を見ててんけど、
今でも色々問題はあって、
あの災害がきっかけで、多くの人たちの人生が、良くも悪くも変化して。
他人事として見れば、ご飯と眠れるトコを提供できれば、
それで問題解決だと思っている部分があるから、
10年を迎えて振り返るってのも、良い機会だと思って見てました。
(阪神大震災の時の私自身に対する衝撃は、結構大きかった気がするけれど、
なぜか中津中越地震てのは、どこか他人事で、
悪いとは思っていながら、どこか印象が薄くて。
まだ半年も経ってないのにこんなアッサリでいいんかって思ってたりします。。。)

一番問題にされてるのが、孤独な高齢者の問題。
災害によって、自分の家が壊され、それまで培ってきた「ご近所さんネット」がバラバラに散らばって。
取り敢えず用意された仮設住宅に住んで、そこでまた「ご近所さんネット」を培って生活するも、せいぜい4,5年。
次に用意された災害復興住宅(ガッチリしたマンション)にお引越し。
そこでまたじーちゃん・ばーちゃんが「ご近所さんネット」を作る、ってのは、
私が考える以上に、結構気を遣うコトなんやと思う。
問題だったのは、仮設住宅から災害復興住宅への引越しの際、
マンションの決定は抽選で、ご近所さんとバラバラになってしまうシステムだったコト。
家を失くし、仕事を失くし、もしかしたら友人・親類を亡くし、
それでもって踏ん張って生きていかないけないというのに、
周りのコロコロ変わる環境に合わせて新たなご近所さんを作るのは、
かなりの心労なんだろうなぁ。

その影響をもろ受けるのは、家族のいない一人暮らしの高齢者。
分厚い壁で仕切られたマンションの一室。
家の中には誰もいない。
外に出るきっかけや動機もない。
 →人と接する機会が極端に少ない。
そんな孤独な高齢者が体の調子を悪くし、自宅で倒れても、
誰も気づくコトができなくて、誰にも看取られるコトなくなくなる。(孤独死)
こんな老人が増えているらしい。
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou05/0114ke71640.html

一人暮らし高齢者の自宅訪問をするボランティアや、
自主活動で高齢者の健康状態をチェックしに周る医師がピックアップされていたけれど、
まだまだ活動は小さくて、限界がある。
災害復興住宅引越しの際に、抽選でなく地域ごとで割り振ったり、
高齢者の将来のため、老人ホーム的な、皆が一つの建物内で生活できる、
大きな寮みたいな施設を用意したら良かったんじゃないか、とか、
そんなコトを思ってはみるけれど、こうなってしまってから言っても仕方ない。
体が動かせる高齢者ならまだ、何かしらの地域交流ができるかもしれないけれど、
体が動かせない高齢者のためには、どうしていったらいいんだろ。

あの災害に巻き込まれ、苦しくも踏ん張って生きてきた人が、
一人で寂しく、誰にも存在を知られずに亡くなるなんて、
人間の社会システム自体、ホントに大事な部分てのが抜けてる証拠だよね。
貧しいながらも子沢山の大家族で、一日中ワイワイ騒いでいたような、
そんな姿が日本にもあったんじゃないのかなぁ。
何が「豊か」なのか、何が「幸せ」なのか、ホントに分からなくなる。