ドラマ化に伴って、再び話題になってる白夜行。
母親がずいぶん前に古本で購入していたので、本棚から引っ張り出してみる。
後味が悪い。
確かにスリルがあって、更に読み進めたくなる気持ちが抑えられず、
こんなに分厚い文庫本を3日ほどで読んでしまったけれど、
正直、気持ち悪い。
二人が世の中を舐めきっているコト、
自分の都合の良い様に周囲の人間を駒のように扱うコト、
自分たちが生き延びられればそれで良い。
そんな自己中具合に苛立つ。
全く人間味が伝わってこない、ひどく冷徹な話でした。
母親がずいぶん前に古本で購入していたので、本棚から引っ張り出してみる。
後味が悪い。
確かにスリルがあって、更に読み進めたくなる気持ちが抑えられず、
こんなに分厚い文庫本を3日ほどで読んでしまったけれど、
正直、気持ち悪い。
二人が世の中を舐めきっているコト、
自分の都合の良い様に周囲の人間を駒のように扱うコト、
自分たちが生き延びられればそれで良い。
そんな自己中具合に苛立つ。
全く人間味が伝わってこない、ひどく冷徹な話でした。
コメント
罪に捕われることですか?
罰ですか?
罪を重ねなければ彼らには
幸せになれなかった。
彼らは幸せになる術さへあたえられないのですか?
罪を重ねず彼らが幸せになる術があるのなら
教えてください。
彼らに罰はありますか?
あのような術をして、彼らは幸せになれたのですか?
私はそうは思いません。
さも、自分たちは被害者なのだという顔をして、
平然と全く関係の無かった周囲の人々の足を引っ張る。
自分たちの「シアワセ」のために。
11歳の事件は、確かにあのようにするしか現実から抜け出せなかったのかもしれない。
でもその後の事件について、私は否定的です。
彼らがそのような不幸な状況にいたから、その後の事件が問われるコトはないのですか?
それは間違っているように思います。
結局、彼らが11歳児だった頃の大人たちと、全く変わらないコトをしている。
再び不幸の連鎖を生み出しているように思います。
自分が「不幸だ」「被害者だ」と言いながら、
平気で周囲の人間を傷つける人間に同情の余地は無いと思います。
ただ、彼らが、自分が幸せになる為にではなく
彼は彼女の為に
彼女は彼の為に
罪を重ねているのが、とても悲しくて。
自分たちの幸せではなく
相手の幸せなんですよね。
自分だけの幸せだったら
きっと罪は重ねないのに。
お互いを想うが故に
連鎖が止まらない。
きっと、平気ではないんだよ。
自分と違う見解を聞くコトができ、嬉しく思っています。
彼らは完璧に二人の世界に入り込んでいると思います。
お互いしか信じるコトができず、周囲を人間として扱っていないように思います。
まるで自分たちが神かのように、自分に都合の良い人生を送れないと他人を傷つけています。
だから「平気で」という言い方をしました。
私は悲しいという感情よりも怒りの方が強いです。
ドラマを見たかの違いも
あるのかと思います。
原作の方がより淡々に
殺人を行っているみたいです。
ドラマは罪を重ねる苦悩が
多少リアルに描かれています。
俺は、きっと
大切な人が苦しんでいたら
正しい道など説くことはできないと思います。
俺も、弱い人間だから。
せめて大切な人が幸せならと思ってしまいます。
あなたはまっすぐな人ですね。
いつも見ていて気持ちがいい。
ドラマでは始めの数話を見ましたが、全く違う話といっても良いと思います。
大切な人の前に障害が現れ苦しんでいても、
その場その場で障害を取り払っていたって、それはキリが無いコトです。
この世で二人きりになるコトはほぼ不可能ですし、
生きていくためには、社会と向き合っていかなければなりません。
だったら障害を取り払うのではなく、社会を変えようとするのではなく、
大切な人に立ち向かう勇気を養わせてあげたいと思います。
周囲を変えるよりも、自分を変えるコトの方がよっぽど簡単なのだから。
私はそう思います。
大切な人の苦しみのため、あなたが周りを傷つけたのなら、
あなたも、さぞ苦しかったのではないかと思います。
その苦しみさえ忘れてしまっているのなら、とても哀しいです。
「苦しめ」と言うことと同じならば
何も言えない。
逆に「言う」ことは簡単で何かを「する」ことは
とても難しくて
何もできないままでいたり。
あの場に自分がいたら
彼らの苦しみを取り除くために
何ができたのだろうと考えると
何もできなかったと思う。
だから、自分には彼らを非難することは
できないと思った。
正しい事を説くことは簡単で
彼らの為に何かをすることは簡単ではなくて。
なんか色々考えさせられるね。
間違っているとわかっていても
正すことは無責任で。
みんながみんな、正しいコトを唱えられなくなったら、
それはそれで世の中間違った方向へ進んでいくと思う。
コンビニのオーナーさんが、孫(?)と一緒にガラスを磨いていた。
二組のお母さんが背中に一人ずつおぶり、もう一人ずつ子供の世話をしていた。
スーツ姿のお父さんが、リクルートスーツを着た娘と歩いていた。
子供が他人の勝手で傷つけられるなんて絶対許せない。
だったら自分の子供・大切な人が苦しんでいるのなら、どうするのか。
「生きろ」が「苦しめ」であるとは思わない。
幸せになるために苦しみを乗り越えるコトが生きるコトなんだと勝手に思う。
社会に、苦しみに立ち向かう勇気を、養っていくべきだと思う。
傍にいる人間として、応援していくコトしかできないと思う。
自分の人生は自分で歩んでいくしかないし、
他人の人生を自分が歩くことはできない。
他人の人生に障害が現れたのなら、
その障害を小さくする手段やアドバイスをするしかないんだと思う。
何もしていないことと同じでしかないと思う。
いつも、応援しかできない。
声をかけて、和らげて、でも実際は何もしていない。
手を差し伸べる事には責任が伴って
その責任は、応援するだけでは逃れられない。
正しいのが何かはわかっているんだけど
彼らがしたことを正すことは
自分は対岸から見て、ただ他人事でしか
ないように思えてならない。
対岸からではなく
同じ苦しみに飛び込んだ彼らを
俺は、すごいと思う。
正しくないし、おかしいと思うけれど
苦しみを分かち合うことは、並大抵ではないと思った。
周りが何をしたって、どれだけ手を差し伸べたって、
自分自身が変わらなければ、問題は解決できない。
たとえその場では解決できたとしても、次の問題でまた苦しみを味わう。
結局、自分自身が変わらなければ、問題を克服しなければ、
解決できない。
だから周囲は、本人に代わって問題を解決するのではなく、
本人が解決できるよう標識になるしかない。
本人が問題を克服できるよう導くことしかできない。
確かに、同じ苦しみに飛び込む彼らは、素直にすごいんだと思う。
でもそうするコトによって、問題が解決したとは思わない。
お互いがお互いのためを考えながら、自分を犠牲にしていく。
共倒れになる。
共倒れになって、一体どんなプラスが生まれるのだろう。
それは相手にとって、プラスになるのですか?
相手の苦しみに飛び込んで自分が潰れれば、
それは相手の苦しみを増長させることにならないのですか?
対岸で常に声をかけながら、支えとなりながら、見守る強さも必要だと思う。
彼らにとって、罪事態はそれが罰せられることでは
なかった。彼らが何か変わる必要もなかったのに
それが罪として咎められた。
解決の糸口など最初からどこにもなかったのだから。
彼らは最初から他人を思い遣る心があって
それ故に起こした犯罪なのに。
自分が彼らだったら、どうしたのか。
考えるとわからない。
もう彼等はお互いの親を殺したところで
普通の人の思想とは外れたところにあるのだから。
外させた原因が彼等にあるとはしたくない。
周りの大人や、柵や
もっと救われてもいいと思う。
彼が救わなければ彼女は死んでいたし
彼女が救わなければ彼は死んでいたし
苦しみを増長させることしか
彼らにできることは何もなかったのだと思う。
それが彼等の罪だとは思いたくないし
それはもう、周りの罪だと思う。思いたい。
俺は彼らにこそ、幸せになってほしかった。
俺は対岸から他人顔したくはないです。
私はこの辺で切り上げたいと思います。
ただ、私には他人の苦しみに飛び込んだこともなければ、
飛び込む勇気を持ったこともありません。
そこまでの関係を他人と築いたことがありません。
自分が潰れてしまったら終わりだと思っていますし、
自分がこの世にいなくなるコトで相手に幸せを与えられるほどの関係も築いたことがありません。
私にできることは、相手を見守り続けること。
くじけそうになったら、行き先を見失わないよう光を照らしてあげること。
そうやって関係を築いています。
人と人との関係には様々な形があるのだから、
何が最も深い関係で、何が浅い関係なのかという区別をする必要は無いと思います。
その人に合った方法で関係を深めていけば、それで良いのだと思います。
aさんはaさんなりに、私とは違った関係を大切な人と築いていってほしいと思います。
周囲を傷つけない方法で。