今日は大きな山を作っていた本を古本屋に買い取ってもらいました。
昨日の内に電話連絡を入れ、出張買取。
おおよその冊数を聞かれ、「100冊以上…?」と答えていたため、
お店の人はボロイ段ボール一箱を持ってきていたけれど、
それじゃ決して足りなくて、前回の引越しで使った古段ボールを持っていった。
…そんだけドッサリあったんです。
それが今じゃスッキリ。残ったのはお財布に入るそこそこのお値段。

正直、あんまり期待はしていませんでした。
去年3月に彼氏さんから引き取った(預かった?残された?)本は、
もともと古本が多かったし、すでに流通しまくってる本も多かったから、
そんなに高い値段は付けてくれないだろう、と。
でも、私がもともと持っていた本は、購入日から日にちは大分経っているものの、
ほとんどが新品で買ったもの。
今回は今じゃほとんど聞かなくなったアルバムCDや宇多田ヒカル、ゆずのライブビデオやPVまで売った。
それなのに、それなのに…。
一冊一冊、いくらで売れたのか詳細は教えてくれなかったけれど、
一冊、気になっていたTOEICの本の買い取り価格を聞いてみた。
この本はほぼ新品同様、CD付きで定価2000円だったのだけれど、
「1割で買い取ります。」
…言葉の意味が分からなくて、聞きなおしてしまいました。
どんだけ利益ぶんどってるんやー!!原材料をそんなに抑えるんかー!!
結局TOEIC本を売るのは止めました。

合計7,800円。
これが妥当な値段なのかどうか、私には判断ができないけれど、
そういうコトなんだね。

結局、私が衝動買いして大して読んでもない数々の書籍は、
お金を払って購入した時点で、その価値は半減どころか1割や2割に落ちるんだね。
本は知識を与えてくれるけれど、ろくに読んでもない本は何も利益を与えてくれない。
結局、お財布からお金を取っていった、負債なんだ。
私のためにお金を増やしてくれる、資産ではない。

ネットで古本として売った方が高く売れたんだろうけれど、
なかなか面倒で、出品していてもその後の管理をしていなかった。

どんだけ意味のある本でも、どんだけ良いコトが書いてあっても、
人に売るっていうコトは、「市場価値」に合わせられるってコト。
私にとって意味深い本でも、それが市場において価値があるかどうかは別。
お金っていうのは、みんなにとって、同じ価値を示しているからね。

この間古本屋で500円で買った「金持ち父さん、貧乏父さん」の意味を身に染みて理解しました。
この本も、一体いくらで買い取られたんだろう。。。

パーソナルファイナンス専門の作家で大学講師でもあるロバート・キヨサキが、全く違うタイプである2人の人物の影響を受けて構築した、ユニークな経済論を展開している。1人は高学歴なのに収入が不安定な彼自身の父親、そしてもう1人は親友の父親で、13才のとき学校を中退した億万長者である。彼の「貧乏人のパパ」は一生のあいだ金銭問題に悩まされ、ついには家庭生活崩壊の憂き目をみる(立派な人物ではあるが、週払いの小切手では家計が潤うことは1度もなかった)。一方、「お金持ちのパパ」はそれとは全く対照的な人生を謳歌することとなる(「金のために働く下層・中産階級」が「自分のために使う金には困らないお金持ち」になったのだ)。この教訓を肝に銘じていた筆者は、47才で仕事をリタイアすることができた。
学校教育では絶対教えてくれない「経済面でのリテラシー」の必要性を主張する本書は説得力がある。変わりばえのしない仕事を極めることよりも、収入を元手に資産を賢く殖やすことの方が、最終的には必ず人生に富をもたらすという主義に基づき、仕事に見切りをつけるための資産を得るにはどうしたらよいかを教えてくれる。

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