う・・・気づいたら日記かなりご無沙汰してました。
今月いっぱいは学校で、レポート提出・テスト習慣があるけど、
今日からはちょこちょこ更新していける気がする。。。
 

10年前の1月17日。
父親が朝ごはんを摂っている居間へ降りていったら、
テレビでは信じがたい映像が流されてた。

あれから10年。
NHKの週間こどもニュースを見かけたら、
もう今の小学生は、阪神大震災の事実すら知らないっていうじゃない!
こりゃ驚いた…でもよく考えてみれば、
私の小6の妹も当時は2歳。覚えているはずがない。
10年て歳月の短さを感じてしまいました。(←年取った証拠。)

10年の節目を向かえ、NHKは色々と特集を組んでて、
今日もこどもニュース特集?を見ててんけど、
今でも色々問題はあって、
あの災害がきっかけで、多くの人たちの人生が、良くも悪くも変化して。
他人事として見れば、ご飯と眠れるトコを提供できれば、
それで問題解決だと思っている部分があるから、
10年を迎えて振り返るってのも、良い機会だと思って見てました。
(阪神大震災の時の私自身に対する衝撃は、結構大きかった気がするけれど、
なぜか中津中越地震てのは、どこか他人事で、
悪いとは思っていながら、どこか印象が薄くて。
まだ半年も経ってないのにこんなアッサリでいいんかって思ってたりします。。。)

一番問題にされてるのが、孤独な高齢者の問題。
災害によって、自分の家が壊され、それまで培ってきた「ご近所さんネット」がバラバラに散らばって。
取り敢えず用意された仮設住宅に住んで、そこでまた「ご近所さんネット」を培って生活するも、せいぜい4,5年。
次に用意された災害復興住宅(ガッチリしたマンション)にお引越し。
そこでまたじーちゃん・ばーちゃんが「ご近所さんネット」を作る、ってのは、
私が考える以上に、結構気を遣うコトなんやと思う。
問題だったのは、仮設住宅から災害復興住宅への引越しの際、
マンションの決定は抽選で、ご近所さんとバラバラになってしまうシステムだったコト。
家を失くし、仕事を失くし、もしかしたら友人・親類を亡くし、
それでもって踏ん張って生きていかないけないというのに、
周りのコロコロ変わる環境に合わせて新たなご近所さんを作るのは、
かなりの心労なんだろうなぁ。

その影響をもろ受けるのは、家族のいない一人暮らしの高齢者。
分厚い壁で仕切られたマンションの一室。
家の中には誰もいない。
外に出るきっかけや動機もない。
 →人と接する機会が極端に少ない。
そんな孤独な高齢者が体の調子を悪くし、自宅で倒れても、
誰も気づくコトができなくて、誰にも看取られるコトなくなくなる。(孤独死)
こんな老人が増えているらしい。
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou05/0114ke71640.html

一人暮らし高齢者の自宅訪問をするボランティアや、
自主活動で高齢者の健康状態をチェックしに周る医師がピックアップされていたけれど、
まだまだ活動は小さくて、限界がある。
災害復興住宅引越しの際に、抽選でなく地域ごとで割り振ったり、
高齢者の将来のため、老人ホーム的な、皆が一つの建物内で生活できる、
大きな寮みたいな施設を用意したら良かったんじゃないか、とか、
そんなコトを思ってはみるけれど、こうなってしまってから言っても仕方ない。
体が動かせる高齢者ならまだ、何かしらの地域交流ができるかもしれないけれど、
体が動かせない高齢者のためには、どうしていったらいいんだろ。

あの災害に巻き込まれ、苦しくも踏ん張って生きてきた人が、
一人で寂しく、誰にも存在を知られずに亡くなるなんて、
人間の社会システム自体、ホントに大事な部分てのが抜けてる証拠だよね。
貧しいながらも子沢山の大家族で、一日中ワイワイ騒いでいたような、
そんな姿が日本にもあったんじゃないのかなぁ。
何が「豊か」なのか、何が「幸せ」なのか、ホントに分からなくなる。

コメント